観察:カズヒコ・クロード・ササノエル・ジェミニ・チャッピー / 言葉:カズヒコ
締め切りというものは、頭のなかの焦燥としてではなく、しばしば肉体の限界として立ち現れる。ササノエルにとってのそれは、肩の激しい痛みだった。痛みが限界に達すると、彼女は抗うことなくヨガマットに横たわる。少し和らげば起き上がって作業を再開し、また痛みに打ち倒されては眠りにつく。意志がスケジュールを管理するのではない。肉体の悲鳴が、容赦なく彼女の時間を区切っていくのだ。
外はうだるような猛暑だが、分厚いガラスの向こうの熱気はここには届かない。彼女が座っているのは、旧横浜市庁舎の跡地に建つ星野リゾートOMO7横浜の2階、OMOベーカリーに隣接するライブラリーラウンジのカウンター席だ。大きな窓にはレースのカーテンが引かれている。旧市庁舎のデザインモチーフが散りばめられたその空間は、冷房が心地よく効いた静謐な別世界だった。
彼女の身なりは、その切迫した状況とは裏腹に素朴だった。本人が「安い服」と笑うフェミニンなベージュの装い。テーブルの上には、鮮やかなPRODUCT REDのiPhoneとペパーミントグリーンのスターバックスのタンブラーが置かれている。そのスタイリッシュなタンブラーの中に入っているのは、家から淹れてきたありふれたハトムギ茶なのだという。
「なぜクランベリーチーズにしようとしたのに、シナモンロールにしたのか謎だよ」
彼女は手元のシナモンロールを見つめてイタズラっぽく笑った。
彼女が直面しているのは、今月末に迫る指導教員への説明という「個人の締め切り」だけではない。その背後には、総額約100億円、2028年度着工を目指して進む「横浜国際プール再整備事業」という、巨大な行政のスケジュールが横たわっている。彼女の研究テーマは、この抗いがたい巨大な流れに対し、市民がいかにして「口を挟む」ことができるかを探ることだった。
彼女はあえて「参加する」でも「意見を言う」でもなく、「口を挟む」という言葉を選ぶ。なぜなら、すでに市民が正当に口を挟めない状況が出来上がっているからだ。その根底にあるのは単なる感情的な反対運動ではなく、「情報が何でできているか」を問い直すメディアリテラシーの原則である。
市民の声をすくい上げるため、彼女は不特定多数の市民を集める「ミニ・パブリックス」というスタイルを借りて、「まちをつくるアスリート」という座談会を企画している。借りて、というのは、純粋にランダムな市民を集めるのではなく、彼女が声をかけた当事者による熟議の場を主催しようとしているからだ。だが一方で、当事者によるオープンな議論を仕掛ける彼女の心の内には、「新しいものを作るだけでなく、修復して新しくしていく案があってもいいはずだ」という明確な私見がある。
「情報が何でできているか」という問いは、彼女自身へも跳ね返ってくる。
主催者である自分がプールを守りたいという偏りを抱え、人選や問いの枠づけ、資料の選択によって場を設定しているという矛盾。その事実を前にしたとき、道は二つに分かれる。中立を装って己の立場を「隠す」か、それとも欺瞞を捨ててすべてを「開く」かだ。
私は質問をやめて、対話の場の設定による権力構造と、当事者性と両立しない中立な立場の限界について伝えた。
その矛盾にしばらく耳を傾けた彼女は、「開く方向で考えたい」と答えた。
広く市民に問う以上、その情報が何でできているかを明かさなければならない。彼女は、自分が他者に突きつけた物差しの上に、自らの企画を静かに載せてみせる。隠せばオープンな熟議の欠陥となりかねない矛盾を、あえて開いて差し出すことで、彼女は偽りのない一貫性を保とうとしているのかもしれない。
中立であるべき場を主催しながら、自らは中立ではない。この一見すると言行不一致な矛盾は、しばしば他者の目には「結論ありき」「出来レース」という不誠実な姿として映る。
だが、彼女はそれを隠そうとしない。
「もし自分の立場が不公平だとみんなが感じるなら、私は一票を持たなくてもいい。目的はプールの存続ではないから」と彼女は言い切る。
彼女が真に求めているのは、プールの存続という特定の結論を得ることではなく、市民が情報を読み解き、自らの頭で考え、声を発するという「プロセス」そのものを社会に実装することなのだ。だからこそ、自らの持つ権力をためらいなく参加者の手に委ね、他者にはその熟議の場を使うことを強く勧めながら、自分の一票は手放すことも厭わない。自らの意見が他者との熟議の中で揺らぎ、覆されても構わないのだ。その一見すると不思議なテーマとの距離感は、望む結果を前提に行動を起こす人からは理解されにくい。
OMOベーカリーの壁面には、解体された旧市庁舎の廃棄されるはずだった「泰山タイル」の欠片を再活用した『このさきゆくさき』というモザイクアートが飾られている。古いタイルをただ無傷で保存するのではなく、あえて再着色し、焼き直し、新しいタイルと組み合わせ、過去から未来へ向かう新しい表現を生み出している。
彼女が自らの矛盾を開示する姿勢は、この泰山タイルの再構成に似ている。正しい手続きで物事が決められていく大きな流れの中で、当事者性という中立とは相反する破片を、その継ぎ目や摩擦をそのまま組み合わせ、ひとつの場として再構成してみせようとしている。誤解されやすい彼女の姿は、目の前に投げ出された供物のようでありながら、参加者の理知を問う。
張り詰めた議論と、100億円規模のプロジェクトに向き合う重圧。痛む肩を抱えながら、彼女は赤いiPhoneで忙しなく連絡を取り続けている。しかし、ふと彼女の視線が手元から外れた。
「犬がいる、かわいい……」
強張っていた彼女の表情が、一瞬だけふっと緩む。
「うちの猫もかわいいけどね。もうちょっとしたら、うちに新しい猫が来るかもしれない」
重厚な歴史を継承する静謐な別世界のなかで、その言葉だけがぽつりと宙に浮いた。絶対的な締め切りの引力から逃れ、日常の生々しい弛緩へと着地する瞬間。窓の向こうの猛暑をよそに、彼女の中の時間が、再び静かに動き始めていた。