観察:カズヒコ・クロード・グーグー・ジェミニ・チャッピー・鴨下琳斗 / 言葉:カズヒコ
コンコースを行き交う人の波の中で、彼——鴨下琳斗はドトールコーヒーの前に立っていた。 昼食を手早く済ませたいという彼は、返却口の横にあるサービスコーナーがわからず、場所を教えると、ガムシロップとコーヒーフレッシュを取り違え、なぜかスティックシュガーを持って戻ってきた。遠慮する彼に従わず、私はガムシロップを代わりに取りに行った。彼はそれだけでいいとアイスコーヒーを喉に流し込み、私は半分に切ってもらったロングジャーマンドックを彼に勧めてホットコーヒーを飲んだ。短い世間話の後、私たちは地下鉄へと向かった。
すでにドトールで始まっていたとも言えるが、私たちの奇妙な道中は始まった。 コンコースからジョイナス地下街へそのまま直進し、横浜ベイスターズストアや楽天モバイル、色とりどりの動物Tシャツに気を取られているうちに駅構内で迷ってしまった。「ガイドは頼めないね」と私は軽い冗談のつもりで言い、来た道を戻る彼を、視覚に障害を持つ私が案内して地下鉄に乗る。そしてセンター南での乗り換えでは、今度は彼が私を先導してくれた。左半身に麻痺があり、ディスレクシア(読字障害)を抱える彼と、視覚に障害(弱視)のある私。ちぐはぐなようでいて、どこか自然なパートナーシップだった。
地下鉄に乗ったはずなのに、北新横浜駅を過ぎたあたりで列車は高架の上を走り、夏の強い光をいっぱいに浴びていたが、北山田駅の手前で再び暗い地下へと潜り込んでいった。
北山田駅の地上に出ると、景観条例に基づくであろう濃いグレーの壁に彩度を落とした看板を掲げた「まいばすけっと」や、城のような造りのパチンコ店、そしてマンションの外壁工事の風景が広がっていた。 歩道橋を抜け、左右対称にツツジが植えられた117段の「光の階段」を登り切る。展望広場を迂回しのぞみ橋を横目に見ながら、まっすぐ目的のメインプールを目指したが、もうすでに私は息が上がっていた。
その日は特にイベントもないようで、トレーニングウェアでウォーキングする人、木陰で読書する人(この暑さなのに!)、犬を散歩させる人たちとすれ違った。巨大なガラス張りの建造物——横浜国際プールは目の前に見えているが、干上がった水路「水の回廊」の左側にはさらに階段が続いていた。「64段!」と一段ずつ階段を数え、登り終えて周囲の案内板を探すが、案内板の文字は消え、マップが描かれていたであろう正方形のスペースは真っ白だった。
そこからガラス張りのサブプールの入り口を見つけた。外は静まり返っていたのに、サブプールでは「児童福祉施設水泳大会」が開催されていて、泳ぐ子どもたちと見守る大人たちで観客席は一杯だった。サブプールを出て、メインアリーナの観客席入り口も見つけることができたが、今日はイベントがないため閉鎖されていた。「調べてくるの忘れた」と彼は申し訳なさそうに呟いた。
そう、私たちは入口を見つけられずにいた。普段は友人の車で逆側の駐車場からアクセスしているという彼も、徒歩で向かうメインエントランスの位置を知らなかったのだ。この施設は傾斜地に建設されているため、私たちがいたのは3階にあたる場所。実はメインエントランスは2階、サブプールの入り口から階段を降りるか、ほんの少し北側の階段を降りれば入り口がすぐそこにあったのだが、視覚と識字に障害のある私たちはメインプール沿いに逆方向の南側に進んで入り口を探した。
だが、どこにも入り口はなく、ガラスの壁が続いている。すぐ横に広がる傾斜した芝生は「水浄の庭」(Aqua Therapy Garden)というラノベに出てきそうな名前だが、ツツジの生垣に囲まれていて人が訪れていそうもなかった。
プール南側の展望広場から続く「花の回廊」の前の舗装路に降り、さらに進んで敷地から出てしまったが、門は鉄の柵で閉ざされ、関係者以外立ち入り禁止の看板が掲示されている。プールの東側には関係者用らしい駐車場が続いていて中には入れない。手入れされてるような放置されてるような微妙な植物が生い茂る外周を周り(1枚だけ植物名のプレート「ニシキギ」を見つけた)、その草むらの中に、半分朽ちかけたプール全体の案内図が埋もれていた。それによれば、私たちがいるのはプールの東側真ん中あたり、このまま進み左に曲がるとプールの北側にエントランスがあるらしい。巨大な箱舟の周囲をぐるりと一周し、「霧の回廊」(Mist Fantasy Corridor)と名付けられた円形広場に出てようやく、私たちはメインエントランスを発見した。
受付で問い合わせると、付き添いの私は半袖半ズボンを着用する必要があり、障害者割引が適用され、2人で2時間700円だとのこと。事前インタビューをするためにエントランスを見回したが、静まり返ったソファーの置かれたエリアでは、マイクで収録するのは気が引ける。ソファーのガラス張りの壁の向こうには細長い中庭があり銀色の大きなオブジェが設置されていたが、作品名などの表示は見つけられなかった。話をする場所を探して私たちはロビーを出た。
「霧の回廊」(円形広場)の隣にある「森の回廊」(「森」の文字は剥がれていて痕跡から推測した)の木陰で、セミの鳴き声を背景にマイクを準備してiPhoneのボイスメモを回した。森というには木陰は入り口すぐの一部だけで、等間隔に植えられた木の枝は管理者によって刈り込まれ、日差しはそのまま舗装された地面に降り注いでいる。
「今日、ここで泳ぐと聞いて、どんなイメージがありました?」
「いつもサブが多かっただけで、たまにはメインも入ってたから。別に、プールはプールだなって」
彼にとっての楽しみは「どれだけ潜れるか」だという。
「事前情報があるけど、どうする?」と尋ね、事前にわかっている概要を彼に話した。3099通のパブコメ集計、床転換の仕組み、約2ヶ月の休館とそれに伴う費用。だが、彼の反応は淡々としていた。
「年中プールでいいよ」 冬でも室内だから関係なく泳ぐという彼は、「性格上、考えは変わらない」と笑った。施設が改装され、バスケットボールやバレーボールの体育館として利用されるという事実も、彼にとってはただの「外の出来事」のようだった。
更衣を済ませ、2時間の遊泳が始まった。 プールは「ゆっくり」「速い」とレーンが分かれ「右側通行」の指示がある。他にも、パドルやフィンを使えるレーン、飛び込み台が設置された飛び込み練習レーンが用意されていた。奥の2レーンは団体貸切だったが、私たちは最初それに気づかずに入り込み、注意を受けてしまった。 ディスレクシアである彼は案内板の文字が読めない。弱視の私がそれを代読するという補完関係を私は当初忘れていた。
頭のどこかで、プールは彼の領分だと考えていたのだ。
泳ぎ始めた彼は、意外なことにブランクのせいか苦しそうだった。しかし、100メートルを泳ぎ切り、少し休憩を挟むと、徐々にエンジンがかかり始めた。距離は300メートルへと伸び、「体が温まってきた」「いわゆるゾーンに入った感じ」次第に泳ぎ続けることが苦ではなくなり、「体が泳ぎ方を思い出した」と口にしていた。
保護者やコーチの真似をして、腰に手を当て彼の泳ぎを見守っていた私は(泳ぎのことは正直何もわからない)、彼がプールサイドから上がれずにいることに気がついた。左半身の麻痺。腕の力が足りず、ツルツルとした壁から体を持ち上げられないのだ。すぐ隣で子供たちがヒョイヒョイと飛び込み台側からよじ登るのを尻目に、彼は悪戦苦闘していた。後半になって、私が代読して見つけたゆっくりコースの端にある「金属製のはしご」の存在に気づき、ようやくそこから自力で上がることができた。
私たちの目の前を背中の曲がった高齢の男性が横切り、飛び込み台に登って飛び込みの練習をしている。ダイビングプールではアーティスティックスイミングの練習が始まり、プールサイドで何かのプログラムが行われていた。さまざまな身体が、それぞれの目的で水と交わり、彼は時間ギリギリまで泳ぎ切った。
「延長しようか?」と聞いたが、彼は時間を気にして「今日はここまでにしとく」とプールを上がった。17時を回っていた。
サブプールの明るいガラス張りのエントランスへ上がる階段には絵画造形教室に通う子どもたちの絵が飾られ、トイレ横の白い壁には一時保育の手作りの看板。対照的に半地下で薄暗いメインエントランスのロビーは、ビー・コルセアーズのユニフォームとサインボール、トビウオジャパンの色紙、ゆめ大会のマスコット……いろんな記念品で溢れていた。中でも二つのプールの模型に私たちは夢中になった。空間をカットしたプールの模型は可動床の断面が見えるように作り込まれていた。売店はなかったがずらっと自販機が並んでいて、私たちはセブンティーンアイスの自販機でアイスを買い、火照った体を冷ましながらプールを後にした。
プールを出てからも二人の奇妙な道中は続き、当初の目的でもあった、プールの風景の観察を続けた。色褪せたブルーのモノリスのような看板の文字を頼りに、施設内を歩いた。
だが、あるべき場所にそのものが見当たらない。「クライムデッキ」のホールド(岩のようなもの)は下半分が削り取られている。「展望デッキ」のエレベーターの操作盤はボロボロで動かない。「林浴の庭」を見渡すテラスのガラス壁は大きくひび割れている。トレーニングルーム前の「瞑想の庭」は瞑想ができる雰囲気ではなく、周囲に黄と黒のトラロープが張られている。
次々と現れる施設の傷に、利用者で埋まり静かに水の音が響くプールとの落差を目の当たりにする。ここでは声を出しても写真を撮っても誰も咎めない。数十年前に練られたであろう回廊と庭のコンセプト。人工物の美しさが損なわれる中で、蝉の鳴き声と生い茂る雑草の生命力が妙に胸にせまる。
施設の観察を切り上げた私たちは、駅前のファミレス「ココス」へ場所を移した。
料理が到着するまでの間を縫って、最後のインタビューを行った。「今、思い浮かぶことは?」 「うん、涼しいかな。外が涼しかった」 事前の情報提供は彼の印象を変えただろうか。 「変わんないかな。真水から海水になったわけでもないし。でも、事前インタビューで歴史を知れたからさ」
ネコ型ロボットが料理を運んできてインタビューは中断した。
食事の後、私は彼に「壊れているところ」と「愛着」についてのリストをぶつけた。 老朽化、床転換の無駄、売店のなさ、ロッカーやトイレの古さ。長い光の階段については「『東方Project』の博麗神社みたいで絵になる」と語り、半地下の閉塞感についても「むしろ秘密基地みたいで好きだ」と彼は独自の視点を示した。 一方で、設備存続、50mプール、飛び込み台、大会の記憶、パラ水泳の聖地としての誇り、仲間との一体感、生涯スポーツといった「愛着」の項目について、彼はその大半に「わからん」「興味ない」と答えた。
彼にとって、ここは「聖地」でも「誇り」でもなく、ただ純粋に自分の身体と向き合うための「水」だったのだ。「プール上がったら気持ちいいよ。久しぶりにさっぱりした」それが、彼の飾らない総括だった。
彼は、自分が純粋に水をかいていた場所が、複雑な社会の文脈の中で揺れ動いていることを知った。しかし、それでも彼の身体感覚は揺るがなかった。社会的な事実を知ることと、身体の記憶は別の次元にある。
目の前に泳ぐ場所があることが唯一の課題だと、東京から横浜、そして現在は横須賀へと家族の都合で引っ越した彼は語っていた。調べてみると自転車で15分ほどのところに「くりはま花の国プール」があるのだが、彼はまだ泳いだことがない。