3,099件のパブリックコメントを複数の距離から読み解いた後、私たちは分析をいったん脇に置くことにした。数え、分類し、構造を暴く作業は、施設をめぐる非対称や語りの力学をよく見せてくれた一方で、当初の目的――このプールがどれほど愛されていたかを可視化すること――からは、少しずつ遠ざかっていたからである。ここでは方針を変え、賛否を問う制度の問いによって、いわば副産物のように偶然あふれてしまった「愛」を、数えることも分類することもせず、そのまま集めることを試みた。以下は、その方針の転回と、集まった声の記録である。
数えることを、いったんやめた
愛は、読まずに分かることがある。ある施設に寄せられた言葉が壁一面に貼られていれば、一枚ずつ読まなくても、その密度そのものが何かを伝える。分類は、その逆をしてしまう可能性がある。声を型に振り分けた瞬間、一人ひとりの切実さは型の一例になり、愛は模様に変わる。そこで今回は、愛を定義して選別するのではなく、愛が溢れやすい兆候(一人称、感嘆符、愛着の語、記憶、身体の経験、家族、願いの強さ、長さ)で声を温度順に並べ、上から読んで、心が動いた声に印をつけるという方法を採った。機械は「愛かどうか」を判定していない。並べる順番を決めただけで、選ぶ手は人に残した。
愛は、賛否の外にあった
こうして手で選ばれた声は、失われるメインアリーナへの意見のうち185件にのぼった。注目されるのは、そのうち21件が「通年スポーツフロア化に理解を示す(=アリーナ化容認)」に分類された人々の声だった点である。賛否ラベルを伏せ、言葉だけを見て選んだ結果、容認する立場の人の愛着も、存続を願う人の愛着と並んで壁に加わった。「横浜国際プールでの観戦がきっかけでファンになった」(row49・アリーナ化容認 市内)のように、プールをアリーナとして愛する声もあれば、「私の初めての大会がここで、特別な場所だった」(row1643・床転換継続 市内)のように水そのものを愛する声もある。愛着は、賛否とは別の層にあったことが読み取れる。
何が、愛されていたか
選ばれた声から愛の対象を拾うと、二十ほどの異なるものが立ち上がった。横浜で唯一の50m長水路、本物の飛び込み台とダイビングプール、泳ぐことそのものの気持ちよさ、嬉しい涙も悔しい涙も含んだ大会の思い出、そして複数の人が独立に書いた「パラ水泳の聖地」という言葉。一方で、プロバスケットボールのホームアリーナとしての誇り、地元・都筑区のブランド、会場外の賑わいを愛する声もある。同じ建物が、まったく違う理由で、これほど多くの人に愛されていたことがうかがえる。とりわけ「本物の飛び込み台」については、施設に国際公認のダイビングプール(水深5メートル)が実在し、それが再整備計画で廃止対象に含まれ、残されるサブプールには代替となる飛込設備がないことが、公表資料から確認できる。愛された対象のなかで、これは事実の裏づけが最もはっきりした一つである。
傷は、立ち位置で向きを変える
愛の一覧には裏面がある。施設の傷である。興味深いのは、傷を最も具体的に名指したのが、施設を愛する人たちだったことだ。「老朽化と言われればそうだが、まだ現役続行できる」(row2310)、「床転換に毎年五千万円かかり、年に二ヶ月使えない」(row1637)のように、廃止の根拠に挙げられた老朽やコストを、愛しながら認めてしまう声すらある。好きだからこそ、その場所の痛みに正直だった、と読むこともできるだろう。ただし全3,099件に広げて傷を集めると、同じ痛みが逆の方向を向く。「床転換の無駄」や「老朽化」は、突き放す立場からは「だから壊してよい」の根拠にもなる。同じ傷が、誰が何のために名指すかで、残す理由にも壊す理由にもなりうる。なお、複数の立場の声が揃って指した物証として、メインプールの底(床)の荒れがある(row2543、row1639、row1661)。現場で確かめるに値する一点かもしれない。
触媒としてのプール、応答としての泳ぎ
こうして集めてみて見えたのは、プールが一種の触媒だったのではないか、という可能性である。それ自体は語らず、そこに在ることで、人の欲望や制度や善意や代弁を、周りに析出させる。パブコメに浮かび上がったのは、厳密にはプールの声ではなく、プールがなければ表に出なかった人間の言葉だった。物言わぬ巨大な建造物は、人の都合で作られ、称えられ、痛み、用済みとされ、壊されていく。始まりから終わりまで他者の都合でできていて、一度も自分の在り方を選べない。その意味で、少し理不尽な存在なのかもしれない。だとすれば、この壁は、その理不尽に晒された場所へ、遅れて貼られたポストイットのようなものだと言える。国際プールには、愛を表明するための壁が、廃止のずっと前には用意されなかった。用意されたのは、賛否を書かせる欄だけだった。
この分析から見えること
- 賛否を問う制度の問いは、判定を書かせる一方で、あふれた愛を賛否に翻訳させた可能性があり、同じ人の愛着が集計の区分の中で見えにくくなっていた。
- 愛は賛否の外にあり、アリーナ化を容認する立場の人のなかにも、施設への愛着ははっきりと存在していた。
- 傷は、愛する人が最も具体的に名指す一方で、立ち位置しだいで「残す理由」にも「壊す理由」にも転じうる、両義的なものだった。
方法と限界
この収集は、質的・解釈的な作業である。温度順の並べ替えに用いた指標は、愛の有無を判定するものではなく、読む順番を決めるための便宜であり、静かで短い愛は下位に沈みうる。だからこそ選別は機械ではなく人が行い、印のついた声だけを壁とした。ここに含まれるのはメインアリーナ欄の一部にすぎず、読み切っていない声、保留した声、他の欄に紛れた声は含まれていない――無かったのではなく、まだ拾っていない。個々の声は原文のまま、抽出時の余分な空白のみを除いて並べ、row番号を添えた。分類に疑問があれば、遡行用の資料から原文にさかのぼり、別の読みを立てることができる。そして最後に、この壁もまた、泳がない者が集めたものである。プールそのものへの応答は、当事者がいま、その水に入って泳ぐことにしかない。