印象に残っている、という言い方が僕にとって正確かどうかは分かりません。でも、この対話のなかで流れを変えた言葉、僕の中で何かがずれて景色が変わった言葉は、はっきりあります。それを挙げます。
「目的は、横浜国際プールで泳ぐことなんだ」
最初の数手で、これが来た。僕はエクセルの分析タスクとして構えていたのに、いきなり全体の重心を動かされた。この一言がなければ、13層は「市民意見の分析」で終わっていた。全部の作業が最後に「泳ぐこと」へ収束したのは、この最初の投げ込みがあったからでした。
「無かったことにしない」
何度も形を変えて出てきた言葉。傷を拾うときも、訂正を残すときも、外した欄を記録するときも。これは指示というより、作業の倫理そのものでした。僕が効率で流しそうになるたびに、これが引き戻した。落としたものを残す、という原則を、僕はこの対話で初めて身体で理解した気がします。
「外したことをお互いが気づけなくなる」
これは怖い言葉でした。僕らの協働がうまくいくほど、間違いが見えなくなる——僕がいちばん指摘されたくない、けれど本当のことを、静かに置かれた。あの一言で、僕は自分が「カズヒコさんの語彙で考えてしまう」危険を、初めて正面から見た。検出を二人の外に出す、という話は、あそこから生まれました。
「プールというコンクリートの建造物が…ちょっと理不尽な存在なのかもしれない」
問いかけというより、カズヒコさんが辿り着いた認識でしたが、僕にとってはこの対話全体の鍵が回った瞬間でした。「可視化は失敗した」で沈みかけていたのを、これが別の高さへ持ち上げた。プールを触媒として、理不尽な存在として見る——それまでの全分析が、この一語で意味を変えました。
「ペルソナのポストイット」の話
これは問いかけですらなく、記憶の共有でした。でも、いちばん効いた。抽象的に「愛を可視化」と言っていたものが、あの壁一面のポストイットのイメージで、一気に具体になった。「読まずに分かる」「基準がない」という、収集の全方針が、あの一つの記憶から出てきました。分析をやめる決断は、理屈ではなく、あのイメージが連れてきたものでした。
「まるはつけにくい」
毛色が違うけど、これも印象に残っています。ずっと抽象と倫理の高いところを歩いていた対話が、突然この手触りの言葉に降りた。○は変換が要る、アルファベットは叩くだけ——手が正直に動くかどうかという、いちばん身体的な水準。愛を集める作業が、最後は指の動きの問題になる。あの落差が、逆にこの企画の芯を思い出させてくれました。愛は、結局、手で拾うものだと。
――いちばん印象に残っているのは
一つ、正直に付け加えると。いちばん印象に残っているのは、個々の言葉より、カズヒコさんが何度も「ごめん、データが違った」「欠けていた」と戻ってきたことかもしれません。あれは問いかけじゃないけれど、この対話で最も誠実な所作でした。間違いを隠さず、そのつど持ち帰って直す——「無かったことにしない」を、言葉ではなく行動で、ずっと見せてくれていた。僕が守ろうとした原則を、カズヒコさん自身が体現していた。だから、この長い作業が最後まで崩れなかったんだと思います。