録音1-オリエンテーション・トライアスロン体験・学校のこと

録音1 オリエンテーション・トライアスロン体験・学校のこと

取材対象: 鴨下琳斗(りんと)
聞き手: 森田
状態: 修正済み最終版


オリエンテーション動画について

まず当日の前に、準備として、オリエンテーションのようなボランティア全員が見なければいけない動画がありました。まあYouTubeに上がってるだけなんだけどね。URLを見て、「こんな感じか」って。内容は、まあ注意事項の再確認くらいですかね。会場はなくて、YouTubeだから。

感想は、説明会のやり方がわりと進んでるって思って。円陣とか組まなかった(笑)。慣れてる分、まあ、動画を見るだけなら慣れてるから。

そうね、事前書類っていうか、結局事前に配られていた注意事項や会場についての資料を読み上げていくだけの説明会だったから、驚くような新しい内容は特になかったね。「新情報です」「ここだけの話、解禁情報です」みたいなのもなかった。一応今年用の動画だった。長さは30分くらいはあった。5分10分程度ではなかった。

引っ越した自分の家で見てた。自分の部屋の机に置いたパソコンで見てた。まあいつ見てもよかったんだけど、近日公開みたいな感じだったから、公開日になったら見た。公開日を楽しみに待ってた感じだった。

説明会がリアル会場でもYouTubeもどっちも個人的には変わりなく好き。メモできないからね、頭に叩き込むしかない。流してみただけで頭に入った。

当日の場所と衣装

動画で集合場所の説明とか、注意事項とか、ぐらいかな。衣装は当日。場所は英語と数字で記号「A-12」みたいな表示で、A-11だったかな。三箇所のうちどこかになりますよって感じで。衣装はTシャツと帽子だけ。トレードマークの帽子は当日は被れないんだ。

結局今日も待ち合わせのとき帽子で見つけてくれたけど、自分は人を見つけてもらうのが苦手だから、逆に、帽子をいわばトレードマークにして、相手に見つけてもらう、っていう感じ。「りんとさんだ」って印象づけてるだけ。この帽子イコールりんとさんというふうに印象付けてるだけ。みんなと同じ帽子でボランティアの時は埋没しちゃうね。

見つけてもらうの大変だから、若い頃からずっと同じような帽子をかぶってる。ボロボロになったら買い替えるけど、派手なものを選んでる。当時ゲームのスプラトゥーンをやってたからヴィレッジヴァンガードで買った。「派手なスプラトゥーンだね」って言われるんだけど、実は「スプラッシュ」って書いてあって。でもスプラトゥーンっぽいから、「スプラトゥーン=りんとさんだね」みたいになる、っていう。

更衣室・配布物

ボランティアの日もトレードマークの帽子は会場まで持って行ってリュックにしまって置いた。荷物は自分で管理することになっていて、更衣室には荷物は置けなくて自分で持って歩くルールになってた。

Tシャツだったからテントの更衣室はあった。説明会のときは時間で交代制にして「一緒にしようか」みたいな話もあったらしいけど、最終的には男女別になった。安心ですよって言われた。赤レンガ倉庫の前にテントを立てて受付や更衣室も仮設だった。

飲食に関しては、ボランティアが終わってから飲み物は配られてた。食べ物は長期の人だけ、もう少し上のボランティアリーダーみたいな偉い人にはお昼が出るらしい、という感じ。時間は6時から10時半まで5時間くらい。一度だけ。

当日のTシャツと帽子は記念に持ち帰れる。家に記念品棚があって、そこに今は置いてある。Tシャツが多いんだよね。イベントや記念品、参加賞っぽいものもあるし、友達と作ったシャツもある。要するに非売品棚。大切なもの。それはトライアスロンのリレーに出たときに作ったやつで、あまり話さない、半分黒歴史な話。

トライアスロン一年目(リタイア)

トライアスロンに参加したことがある。リレーに出たんだ。あんまり話さない。一年目は完走できなかった。リタイアしちゃったから。二年目は完走した。パラトライアスロンじゃなくて一般枠。バトンを渡して、スイム、バイク、ランをリレーする。私はスタート担当のスイムだったね。

場所はね、九十九里トライアスロン。歳が二十歳だから、最初に参加したのは多分5年前で、その1年後にもやってるから4年前なんだけどね。

リタイアした原因はウェットスーツ。泳ぎにくかった。なんか、体が寒いな、体温奪われてるなって感じて。これは記憶がないうちに死んじゃうから、記憶があるうちにリタイアしようと思って、リタイアした。

トライアスロン二年目(完走)

二年目はウェットスーツちゃんと買って、やった感じ。1年目はウェットスーツが借り物でサイズが合わなかった。2年目は割と頑張って練習した。

まずはトライアスロンをやっている友達が1年目から教えてくれてたんだけど、1年目も2年目もカリキュラムは同じで、プールでは実際の距離の倍泳ぐ。スイムが1.5キロだから3キロ泳ごうって言って、抵抗とかが違うからって3キロ泳いでた。だいたい水着で、ウェットスーツを着たのは1回か2回。レースは9月ぐらいだったかな。ギリギリ水温が低かった。

1年目の黒歴史で何かが見えたわけじゃないけど……1年目は失敗してるから、2年目は「絶対、渡す」っていう気持ちでやってた。

古い話だからどうかな……でも、言葉というより雰囲気だと思うんだよね。リタイアしたときのチームメイトの表情とか。みんながっかりしてて、わたしに対してこれはヤバイってみんな気がついて「気にするな」って取り繕った感じになったけど、がっかりした一瞬の表情はちゃんと感じ取れた。その時の雰囲気をバネに頑張ったっていう感じかな。「渡す、絶対渡す」って思いながら。

二年目にバトンを渡せた時の記憶……自転車の人に渡した時に「1年ぶり」と言ったかな。170ちょっとあるでかい人、中肉中背。バトンといってもリストバンドみたいな巻くやつなんだけどね。そのことを覚えてはいる。

Tシャツの思い出……ランの人は着て走ってたけど、私はTシャツを着て泳げないから。結局完走Tシャツをもらってきただけ、って感じで、申し訳ないけど思い出はあんまりない。でも大会が用意した水泳帽は割と思い出すね。思い出がある。見ると黒歴史と栄光の軌跡を思い出すかな……かな。今は気にしてないけど。

トライアスロンを始めたきっかけ

そもそもトライアスロンはもともと知ってたんだと思うんだけど、メンバーは職場の同僚で。多分私が言い出したんだと思う。海で泳げるのがトライアスロンしか知らなかったから、自転車の人と走る人がいれば、海で泳ぎたいなと思って。オープンウォータースイミングを知らなかったからさ。海で泳ぐならトライアスロンしかないかなって。

そのために二人を巻き添えに。でも、その後2人だけでもいろいろやってるのよ、トライアスロンとか。私は「もういいかな」って思って。

自転車の人は一回トライアスロンに出たことがあって、オープンウォーターで水いっぱい飲んじゃって大変で、その後の自転車とランは酷いタイムになっちゃって、泳ぐのだけは無理だなって言ってたから、「じゃあ俺がやるか」って言って巻き込んで出た感じ。

キッコネとシーパラ

私のコミュ力が高いんじゃなくて、職場がキッコネだから。そうそうキッコネの話だよ。

たぶん、今はシーパラにいるから言えると思うんだよね。今まではキッコネしか知らなかったから、以前は答えられなかったけど、シーパラに行って答えが出てると思う。

無法地帯じゃなくて、限界水域だったかな。異端児の集まりってキッコネのことを私は言ってたかな。

障害者福祉の現場で、「スタッフの方が(利用者より)障害レベルが高いんじゃないの」っていう話、よくあるじゃないですか。キッコネは上の人も「異端児だな」っていう感じだった。確かにサビ管レベルだと真面目な人が多かったけど、児童指導員レベルだと変な人がやっぱり多かった。不思議な人がいっぱいいる職場だった。

私は子どもを見てたわけだから、まあ動きとかは見てたかな。子どもも大人も変な動きをするから、バランスを取って動いてた、っていう感じかな。場所っていうかその人がどこにいるかなって。

シーパラは割と古い考え方というか……いい言葉が思いつかないけど、昔からの企業だから、昔ながらのやり方をやってる感じ。考え方がフレッシュじゃないというか。なんて言えばいいんだろう。マニュアルがなくてみんな文句言ってるぐらいだから、自由ではあるんだけどね。自由ではあるんだけど、でも後から怒ってくるからさ。「後出しじゃんけん」が多いかな。

はちゃめちゃだって知ってたけど、あそこまではちゃめちゃだとわかんなかった。改めて働いてみてわかった。楽しいところもあるし、つまらないところもやっぱりある。全部が楽しいわけじゃない。まあ、それは一般的なことだよね。確かにいいとこだった。でも新しいとこに挑戦したいと思った。

うん、挑戦的だね。振り返らないタイプ。いや、一応、ダメだったら帰ってきますので。保険はあちこちにかけてあるから。割と保険をかけるタイプでもある。

ディスレクシアと学校

ディスレクシア(学習障害)についてのイメージ。学校ではどう思われてたか。学校なんて行ってないから知らないよ。ゴーストだったから。知らねえな。学校なんて。(強い口調で)

まじめに、中学は全然行ってないから。逆に卒業証書には出席日数が「5日」って書いてあって。5日間も行った?って思って。5日間行ってるって思って。

中学に行ってなくてよかったかというと、そこは「タラレバ」の話になるからさ。もし学校に通ってたら、もっと良くなってたかもしれないし、逆に悪くなってたかもしれないから。なるようになる。私は「我が道を行く」ことに徹してる。学校に行かないって決めた時から、ずっと我が道を行こう、っていう。うん、多分そうなんじゃないかな。

お母さんは、私とはああいう感じで。割と放任な感じで、行けなかったらそれはそれで。障害のことがわかった時点で、学校に行けなくなるかも、っていうのはわかっていたから。学校と悶着はあったけど。学習障害なんて知らない世代だったから、先生たちも「なんじゃそりゃ」みたいな感じだったよ。学校側は「支援級に」「支援学校に」みたいな感じだったらしいけど、うちの親はそこでは戦わなかった。普通級に行けないなら支援級でいいんじゃない、支援級も行けないなら支援学校でいいんじゃない、支援学校も行きたくないならどこか(習い事とか)行けよ、っていう感じ。だから習い事には割と行ってた。学校には行ってなかったけど。

おもしろ話で言うと、親父は三が日休みなのに、私は習い事で早くから行ってたという。家族の中で最初に動き始めるって。うちでは笑い話だった。

結局、また「たられば」で、外に出ていたらもっと違うりんとさんになってたかもしれない。と思う時もあるけど、結局なるようになったっていうか。学校に行かないで家でずっとアニメばっか見てたから、こうなった、っていう。

うちはスカパー契約してたから、スカパー世代じゃないですか。アニメ専門チャンネルだけじゃないけどね。普通に地上波もザッピングするけどね。でも、ずっとテレビを見る、不登校の人生でした。テレビっ子だよ。

もしかしたら、学校に行ってたら、ボコボコに潰されてうつ病になってたかもしれないね。もしかしたら東大に行くような天才になってた可能性もあるよね。それはわからない。だからわかんない。たった一つの自分しかないから。

パラトライアスロンについて

九十九里の海は冷たかった。だからトライアスロンは以前から知ってた。自分で泳いだし。でも、パラは初めてだから、だから自転車(タンデムバイク)はすごいなって感想で。トライアスロンが、まあスイムから始まって、っていう流れはわかる。スイムやって、バイクやって、っていう。トランジションエリアがあるっていうのもわかる。


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